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アメリカ留学 その14 PTA学科入学へ必死のアピール

留学録

師の存在

大学へ入学するだけでも、やはり簡単にはいかないものだと実感しました。

世間ではよく言われることですが、アメリカの大学は入学するのは簡単だが卒業するのが難しいと。

私の場合は、どちらの門も狭い印象でした。

私としては、その高い倍率でネイティブスピーカーの学生と狭き門を通るための競争をしなければいけませんでした。

普通に試験を受けてインタビューを受けても勝ち目はないと分かっていたので、何か行動を起こさなければいけないと思って、自分の武器になるのはやはり日本で理学療法士として過ごした5年間とその時々で出会った師の存在であると思いました。

アピールしなければ埋もれてしまうと思った私は、できるだけ多くの推薦状を日本にいる島田先生を始め、学校の教授、校長先生、高校の恩師などに依頼しました。

全ての方がちゃんと推薦状を書いてくださり、すぐにアメリカの私の元へ届けてくれました。

これほど心強いと思ったことはありませんでした。

Jan Rogers先生との出会い

そして、まだ留学1年の拙い英語ではありましたが、自分の強みや経験をしたためて広大なキャンパスの外れにある学部の教授Jan Rogers先生の小さなオフィスのドアをノックしました。

ちょうど2009年にイリノイ州カーボンデールを巨大なインランドハリケーンが襲い、町が壊滅して2週間ほど電気のない暮らしを経験しました。

その影響でJan先生のオフィスも広大なキャンパスの片隅へと引っ越しをせざるを得ない状況でした。

そこで初めて私はこれからのアメリカのヘルスケア業界と留学生である私の架け橋となってくれたJan先生と出会いました。

女性のとてもはきはきとした先生で、私も初対面で緊張しながらも必死に自分のアピールをして何とかPTA学科に入りたいとたくさんの推薦状と学業成績証明書やアピールの文章をJan先生に見せました。

言葉以上に想いは伝わる

一言、「Wow!!」こんなにちゃんと揃えてしかもまだ入学の時期でもないのにすばらしいと驚きを隠せないような笑顔で褒めてくれました。

そして何よりあなたには国や文化は違えどPTとしてのバックグランドがあるということをおっしゃってくれて、「よし、分かった。これから英語は大変だと思うけど頑張れるなら入学を認めよう!」とその時に伝えてくれました。

一瞬、「えっ?」となりましたが、何でもやってみるものだなと思ったと同時に、ここがアメリカであることをまた思い知らされた瞬間でもありました。

その瞬間、大学生としての一歩を踏み出せる期待に胸が高鳴った事とあのキャンパスの
片隅にたたずむオフィスが今でも鮮明に思い出されます。

また、PTA学科での講義内容や制度、留学生にとって知っておくべきことなどは次回以降にご紹介させていただきたいと考えています。

つづきは次回へ>>アメリカ留学 その15 アメリカでの初仕事

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