SIUCへの入学
SIUCはイリノイ州の州立の総合大学として1869年に創設されました。
カーボンデールの町の中心的な存在として広大な敷地を有して多くの学生が勉学や研究に勤しんでいます。
私は日本で専門学校を卒業しているので、いわゆる大学のキャンパスライフを経験したことがなくこれから始まるその生活に心をときめかせていました。
前回の寄稿でも書かせていただきましたが、CESLから大学への編入をするためにはその大学が定めているTOEFLの一定基準を満たさないといけません。
また同時にCESLのアドバイザーと相談してどの学部へ進むのかなどの進路も決めなければいけません。
理学療法士アシスタント学科への入学希望
私が入学を考えていたのが、College of Applied Sciences and Arts(応用科学技術学部)です。
その学部の内訳として、歯科衛生士、放射線技師、ヘルスケアマネージメント、理学療法士アシスタント学科(以下、PTA学科)などがあります。
日本では理学療法士として働いていた事もあり、島田先生とも相談して理学療法士アシスタント学科への入学を希望しました。
毎回、大きなイベントがあれば同時に大きな壁も立ちはだかるといった繰り返しで免疫もついてきた私ですが、今回もCESLから大学への編入でその壁が立ちはだかりました。
CESLのアドバイザーと相談して応用化学技術学部のPTA学科への入学を決断して、アドバイザーがPTA学科の教授に私の事を伝えてくれました。
その際に、教授からPTA学科は他の総合学部と違って2年のカリキュラムとインターンシップで国家試験を取得する学科なので、俗に言う経済学部や法学部とは流れが違いますとのこと。
すなわち、2年間同じ生徒で同じカリキュラムを同じ教室で受けて実習を行い卒業すると言うことでした。
前例がない
私が想像していた大きな講堂でたくさんの学部の生徒に囲まれて講義を受けるといったものではなく、日本の専門学校のシステムと大きく変わらないものでした。
また、日本の療法士養成校のように同じ町やその地域周辺にいくつもPTA学科が存在しているわけではありません。
すなわち、倍率も高く毎年30名程度の定員に対してその10倍もの生徒が出願するといったものでした。
電話越しにCESLのアドバイザーの声のトーンが落ちて、心なしか元気がなくなったのを察知した私はまた何か壁が立ちはだかったのだと察知しました。
しかし不思議とアメリカ生活も1年が過ぎようとしており、その壁すらもその時は何とかなるだろうと考えられる程に成長していました(成長と言っていいのかは分かりませんが)。
しかしながら、さらに追い打ちをかけるように留学生でPTA学科に入学した前例がなく、以前もエジプト人の生徒がいたそうですが彼はアメリカ国籍を持っている生徒であったため“インターナショナル”の生徒は実質私が初めてであるということで、留学生にとっては勉強内容も厳しいものになると伝えて欲しいと受話器を下ろしたアドバイザーから伝えられました。
つづきは次回へ>>アメリカ留学 その14 PTA学科入学へ必死のアピール
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