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アメリカ留学  その2 島田病院(現運動器ケア しまだ病院)での5年2ヶ月

留学録

競争心がないと言われた2003年組

私は理学療法士として2003年に島田病院に入職しました。同期の理学療法士は私を含め6名でした。

社会人としても臨床家としても新米であった当時は、恥ずかしながら学生の延長線上で社会の中で責任を持つことの意味すら分かっていませんでした。

先輩達からは2003年組は競争心もないし、お互いがお互いに無関心で本当に理学療法士としてやっていけるのかとても心配されていました。

自分だけ何もない

それが約1年経過すると、私たちにも後輩ができ、先輩として見られる事で自分の言動や行動に徐々に意識が向き始めました。

その頃から同期が何をしているのか、どういうことに興味を持ち取り組んでいるのかなど自分と比較するようになっていきました。

勉強や研究が苦手な私はそんな変わりつつある同期から次第に距離を離され、私自身何を目的にこの先理学療法士としてこの場所で存在意義を持って働けるのかとても不安になりました。

臨床家として3年目を迎えて、自分の得意分野は何だろう、これだけは譲れないといった分野を構築できない自分への焦りが日に日に募り、他者から自分がどう見られているのかとてもびくびくしながら仕事をしていたのを今でも鮮明に覚えています。

ある日の診療

そんな時、整形外科医でもあり、当グループの理事長でもある島田永和先生が自院で腰部脊柱管狭窄症の手術をされ、術後リハビリテーションとして私が担当することになりました。

リハビリも回数を重ねて行く中で、色々なお話をしてくださる中で、いつも何か自分の今の悩みの解決の糸口になるヒントは無いのかアンテナを立てていると、島田先生が話の流れから「理学療法士も英語喋れたら、アメリカとか海外行って色々な勉強もできるし、俺が行くとき連れていってやれるけどな。お前ら英語分からんやろう・・・」と仰いました。

島田先生は何気なく会話の中で言われた言葉かもしれませんが、それを聞いたときにこれだと思いました。

同期と比較して勉強も苦手で、研究も不得意な私は、それならまだ誰もやったことのない道を進んでみようと思いました。そして、英語を話すことができれば、理学療法士としても自分の人生においても選択肢は必ず広がると確信しました。

尊敬する先輩の活躍

このエピソードと時期を同じくして、一人の目指すべき先輩の海外での活躍をいつも憧れと尊敬のまなざしで見つめていました。

その方は、現シンクロナイズドスイミング日本ナショナルチームトレーナー兼理学療法士の浅岡良信さんです。

直接仕事を共にしたことはありませんが、私が入職した年に島田病院を退職され、単身イタリアという異国の地に渡り、1から新しい生活をスタートさせて、自分の力でイタリアプロフットサルリーグセリアAのチームトレーナーの仕事を勝ち取られました。

その活動記を日本のフットサル専門誌であるPIVO(現在は休刊)に連載されていました。その先輩の存在も自分のアメリカ留学に大きく影響したのは間違いありませんでした。

私は人の縁に恵まれているとつくづく思いますが、このような先輩との出会い、島田先生との出会い、そして同期との出会いの中で5年2ヶ月過ごせた結果、私はアメリカ留学をはっきりと決断しました。

つづきはこちら>>アメリカ留学その3 留学準備と思いがけない壁

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