CESLでの学校生活
少しずつアメリカ生活も板に付いてきた頃、いよいよCESLでの学校生活が始まりました。
8月の南イリノイの気温は平均気温31度でカラッとした清々しい暑さであったように記憶しています。
まずCESLではTOEFLという外国語としての英語のテストを受けなければいけません。
留学生の中には母国語が英語の生徒も混じっています。
ナイジェリアの友人は、イギリス英語ですが第一言語が英語であるため、このテストで大学入学基準を満たし、CESLをパスしました。
全ての留学生がCESLを受けなくてもよいということになりますが、TOEFLの点数はクリアしているがいきなり大学に入るのはちょっと不安という学生もいて2ヶ月はクラスに慣れるためにもCESLを受けていた留学生もいました。
あくまでそのようなケースはマイナーケースで、ほとんどの留学生はこのテストによって英語のレベルをチェックされ、CESLでのクラス分けの判断材料として使われます。
もちろん中には語学習得のためだけに留学している学生もいるので、CESLの使い方も人によっても国によっても多様であり、そんな多くの人種が集まるインターナショナルな空間がCESLです。
サウジアラビアからの助け舟を待つ日々
さて、私の通っていたCESLですがクラスは大きく分けて7つに分類されていました。
その中で私は下から3つ目のレベルに振り分けされ、そこで英語の勉強をスタートさせました。
クラスには、中国人、サウジアラビア人、韓国人、台湾人、そして日本人が在籍しており、アジア圏の留学生が多かった印象です。
国によっても特色はあり、とにかくサウジアラビアの学生は文法のことは気にせず発言を積極的に行います。
私が先生に答えを求められた際も、横から答えたりして先生に今はあなたの順番ではありませんよと苦笑しながら窘められている一コマもありました。
しかし、それこそがとても重要なことで、とにかく発言することで自分を主張することができなければ印象にも残らないということを痛感しました。
どうしても文法が頭をよぎり、この言い方では間違っている、どう表現すればいいのかを先に考え過ぎて結局喋れないといったことが多くあり、その度に他の国の生徒とのギャップを思い知らされ、自分が今まで学校で勉強した英語は何も活かせていないという事実にショックを覚えました。
それ程英語が得意とは言えなかった中学・高校時代、もっと生きた英語を身につけておけばよかったとその時になって初めて後悔しました。
それは学問としての語学でなく、対話力といった方がしっくりくるかもしれません。
隣国の中国や韓国の学生と比較しても少し引きを取っていたと私は感じました。
必死に先生の講義に耳を傾けるわけですが、如何せん英語が得意ではないので英語で英語の説明をされても全く理解できるはずもなく、意見を求められてもただ笑ってサウジアラビアの助け舟が来るのを待つということの繰り返しでした。
無形の財産
私が在籍していたレベルのクラスでは、リスニング・スピーキングのクラス、文法のクラス、そしてメインとなる総合英語の3つを朝の9時から午後3時過ぎまで週5日間みっちりとスケジュールが組まれています。
レベルが高くなれば、小説のリーディング、映画解釈、プレゼンテーションのクラスなどさらに英語力が問われるクラスが多くなってきます。
社会人を経験してからの学生への出戻りを経験できた私は、CESLでの授業が楽しくて楽しくてたまりませんでした。
もちろん緊張もたくさんしましたし、英語が出てこないもどかしさも経験しましたが、それも踏まえて楽しめたCESLでした。
そこで出会った人達との交流も私の人生の財産であると胸を張って言えることができます。
つづきは次回へ>>アメリカ留学 その12 アメリカでできた仲間の存在
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